【雑学ブログ】タクシーのサイドミラー
どうもとりばあです。
ご無沙汰しています。
ネタがなかったとか飽きたとかそういうのではなく、単純に私生活を忙しくしておりました。
別に今それが片付いたとかではありませんが、
一つの節目を迎えたので更新です!
タクシー
皆さんは、タクシーをじっと見たことがあるでしょうか。笑
まあ、変な話ですが、タクシーをよく見ると、普通の車と違う部分が見えて来るものです。
いかがでしょう?
ある日駅前のバス停でボーッとロータリーを眺めていると、
そこに並ぶタクシー、全部サイドミラーがボンネットについていることに気がつきました。
あれ、なんでドアミラーじゃなくてフェンダーミラーなんだろう?
そう思ったわけです。
そこに並ぶタクシーの中には最近の車種もあり、どうも不思議に思いました。
そこで調べてみると、、、
やはり理由があるようです。
理由は主に2つほど、
車幅感覚と、目線移動です。
車幅感覚のつかみやすさ
タクシーはお客様を目的地まで車で乗せていく車です。
お客様によっては、とても辺鄙で狭い路地を指示される方もいらっしゃるでしょう。
そんな時に役立つのがフェンダーミラーです。
まずフェンダーミラーはドアミラーよりも車体の内側についてますので、単純に車幅が狭くなります。
それに加え、付いている位置が車のサイド全体を確認できる位置なので、車幅感覚がつかみやすいそうです。
車幅感覚がつかみやすいので、より運転技術も上達する。
そんなロジックだったわけです。
目線移動の小ささ
ドアミラーは運転席の真横にありますね。
それに比べフェンダーミラーは運転席から見て、斜め前にあります。
つまり、ミラーを見るときの視線移動が少ないという特徴があります。
ではなんでそれがメリットになるのでしょうか?
まず初めに思いつくのは、正面を見ている状態からの目線移動にかかる時間が少ないため安全、といったところでしょう。
でも実はこれだけではありません。
ドアミラー(特に助手席側)に目線を向けるためには、首の回転を行う必要があります。
首を回転させると、タクシーに乗っているお客様は、今見られた!?!?みたいな気持ちになります。
実はフェンダーミラーの存在は、ここを気遣っているわけです。
お客様に安心して、リラックスしてして乗っていただくために、そんな気持ちから出来る限りドライバーは首を動かさないように、
そんな気遣いがあったなんて、気づきもしませんでしたよね。
タクシードライバーが首を動かさずにルームミラーを見るのも、そんな気遣いの現れなんでしょう。
実はとても意味のある、
暖かい気遣い、
タクシーのフェンダーミラーにはそんな一面がありました。
ではまた。
【雑学ブログ】氷のお話。
どうも、とりばあです。
昨日は特にネタもなく、夜勤だったため更新をやめました。
まあ、毎日投稿を歌ってる訳ではないので別にいいかなって。笑
まあそれでですね、仕事中氷を製氷機からアイスタンクに移していた時の話。
ふと、これって現代だからできることだよな、と思ったわけです。
では、昔はどのようにして氷を作っていたのか、
またどのようにして物を冷やしていたのか、
気になったわけです。
昔の氷事情
昔の有名な文献の一つに、「枕草子」というものがございます。
皆さまもご存知のものだとは思いますが、読んだことがある方はどの程度いらっしゃいますでしょうか。
私は少しだけ読んだことがあるのですが、その中に現代でいうかき氷のようなものを食べる描写が出てきます。
それを知っていた私は、昔から氷なるものが存在することを知っていたわけですが、実はとても原始的に作られていたそうです。
調べる前は、何らかの物理法則を使用して氷を作っていたのだと思っていたのですが、そんなものではなかったようです。
氷は、冬の時期に寒冷地対策で水を凍らせる事で製造されていたようです。
開国後は、輸入も行われていたそうですが、ご察しの通りとても高級品だったとの話です。
そりゃ、冬に製造された氷を夏まで保管しておくわけですから、冷蔵庫や冷凍庫がない当時はとても保管に苦労していただいたはずです。
ちなみに、清少納言の時代では、冬の間に天然の氷を削り出し、洞窟などの奥に作った、氷室という貯蔵施設を作って保管していたそうで、都まで運び御所につく頃にはかなり小さくなっていたとの話です。
今では考えられない話ですね。笑
因みに、氷室という苗字はここからきていて、尾張の国などの氷室がある地域が氷室という地名になり、それが苗字になったという説もあるそうです。
その後氷室家は現栃木県に移動したそうで、氷室という苗字の方は現代では栃木や群馬に多くいらっしゃるようです。
そういえば、ミュージシャンの氷室京介さんも群馬県出身でしたね。
氷の歴史に興味を持った方は、もっと詳しくご説明されているウェブサイトもございますので、是非そちらをお読みください。
どうやって物を冷やしていたか
近代になると、もうすこし簡単に氷が手に入るようになりました。
蒸気式、アンモニア式など、様々冷凍庫も開発され、電気を使わずとも空間を冷やす技術は発達してきます。
それでもやはり自分の力で物を冷やすものは高級品で、簡単に手に入るものではなかったそうです。
しかし、氷だけならわりかし手に入りやすくなってきていますので、氷を買うことで利用できる冷蔵庫が現れました。
それは木製冷蔵庫です。
木製冷蔵庫の上段は、先ほども名前が出てきた氷室という部分です。
皆さまもご存知の通り、暖気は上にたまります。
そのためストーブは地面に、エアコンは上につける、というのは雑学入門編というよりは、常識かもしれませんね。
さて話を戻して、この木製冷蔵庫では氷室に氷を入れ、冷気は暖気とは逆で下に溜まるので、氷で冷やされた空気は下段の貯蔵庫におります。
冷やしたいものを下段に入れることで、冷蔵庫としての機能を果たしていたようです。
木製冷蔵庫はなかなかオシャンティーなデザインで、すこし欲しくなってしまうようなデザインですね。
このように、昔はとても原始的な方法で氷を製造、ものを冷やすという行為を行なっていたことがわかりました。
氷は、飲み会の時も話のきっかけを作りやすいと思いますので、よければ流れを作るのにでもお使いくださいね😄
では、また次回。
【雑学ブログ】アニメ監督、庵野秀明という男
こんばんは。とりばあです。
本日は、調べた内容ではなく、今日友人と話にあがった、エヴァンゲリオンの監督である庵野秀明さんについて語れればなと思っております。
天性の才能?それとも努力家?
庵野秀明という男を語るときに欠かせないのは、やはりジブリ作品、というより宮崎駿監督でしょう。
昔からかなりイラストなどを描くような少年時代を送り、高校時代にはもうアニメーションの世界に入っていたようです。
好きこそ物の上手なれと言いますが、かなり漫画やアニメが好きで活動していたようですね。
大阪芸大の受験勉強では、宮崎駿の絵コンテを参考に勉強したと言いますが、やはりかなり宮崎駿監督の作品が好きだったようです。
その持ち前の実力を活かし様々な作品に参加するようにもなった庵野は、ナウシカの作画スタッフ募集の告知を見て状況、見事採用されたらしいです。
今考えると、とてつもない人生を送っていますね。
ちなみに、ナウシカの公開は庵野が24歳の時ですから、かなり若い段階でナウシカの製作スタッフを担当していたことになります。
しかも単純作業だけでなく、巨神兵の火の7日間のシーン・巨神兵のラストのシーンなど、かなり重要なシーンの作画を担当していたみたいです。
その後は、フリーランスだったかは定かではないですが、ジブリとも少しずつ関係を保ちながら自らの仕事を作画から監督という業務に変え、活躍してを果たしたそうです。
ちなみに、もののけ姫でも祟り神やデイダラボッチを担当したということ話を聞いたことがあります。
まあ、言われてみれば世界観がエヴァにとても似ているような気がします。。。
ハウルの荒地の魔女の手下とかはどうなんでしょうか?気になるところです。笑
その後実力を伸ばした庵野はエヴァンゲリオンの総監督となり成功を果たしたわけですが、庵野秀明という男、果たして何がすごかったのか。
それは私は、自分を見極める実力と無数の努力、そして行動力だと思います。
大学在学中に意味がないということ理由で状況を決めるだとか、宮崎駿に直談判で原画を見せるような真似は今の若者にはなかなか難しいものです。
そして次には、自分を見極める才能です。
漫画家を目指したが自分には才能がないと判断しアニメーションの道に進む姿勢や、作画を担当していたが人物が書けないから監督の方に道を変更してするといった大胆な判断力こそが彼の持つ大きな強みだと私は感じました。
そして何よりも無数の努力なのです。
若い頃からたくさんの経験を積み、現場で実際に当たって砕けまくる、才能ある人からいいところを全て盗むその心は、成功するべくして成功した人間の鑑とも言える人物なのではないでしょうか。
その後に、宮崎駿監督の推薦(半命令)で「風立ちぬ」の主人公の声優を担当した、ということのはまた別のお話。。。
本日は、エヴァンゲリオンの総監督として名を馳せている、庵野秀明さんについて語ってみました。
ジブリ好きの方やエヴァンゲリオン好きの方は楽しんでいただけたでしょうか。
では、また。
【雑学ブログ】初めての雑学
こんにちは。
どうもはじめまして。とりばあと申します。
名前の由来は、トリビアです。
トリビアという言葉は某○○テレビの番組でも有名ですが、
英語でtriviaと書き、「くだらないこと・些細なこと」転じて「雑学」という意味を持っています。
そう、ここではタイトルにもある通り、雑学をただお話するだけのブログを書いて行こうかと思います。
目的は、自分のためです。
私自身普段から雑学が好きで様々なことを調べていますが、今日ふと思いました。
毎日いろんなこと調べてるけど、忘れていってるな...と。
で、もったいないから形に残そう!となったわけです。
そういうわけなので、とても身にならない雑学を語るだけのチンケなブログです。
ひまなときにでも読んで行けたら嬉しいです。
本日の雑学「卍」と「卐」
皆さまは、卍という言葉をご存知でしょうか?
おそらく今の若者言葉として大流行していますので、ご存知の方が多いと思います。
今の若者言葉言葉における卍という言葉はとても万能な言葉として使われており、様々な言語学者や辞書製作会社が意味を明記するのに頭を悩ませている言葉でもあります。
正直な話、これといった特定の意味としてでなく、強調語のような使われ方をしているようです。
その由来はマジという言葉と語源が似ていることから使われるようになったというのが主流の説で、「マジ卍」と使われるのが一般的ですが、「あの人卍だよね。」などと意味のわからない使われ方もしているようです。
まあ、要するに「ヤバイ」みたいなものでしょうか。
一方、卐は、あまり見慣れないかも知れません。
見慣れている方の多くは、ドイツ語の「ハーケン・クロイツ」として知られている方もいらっしゃるかも知れません。
このハーケン・クロイツのマークは、ナチス・ドイツの紋章として使われていました。
今では、ネオナチスなどの団体で使われていて、まあ、端的にいうとあまりいい印象を持っているものではないありません。
ですが、元はというと、鉤十字・スワスティカとも呼ばれ、サンスクリット語の「スヴァスティカ」という、「幸福・幸運」と言った意味を持つ言葉でした。
形は、空を横切る太陽をモチーフとしているらしいです。
そのため、それらは新石器時代のユーラシア大陸で寺院や民家にシンボルとして掲げられていて、詳しくは考古学者のハインリッヒ・シューリマンが研究を行なったらしいです。
ハインリッヒ・シューリマンは有名な方で、私自身名前は聞いたことがありましたので、少し感動いたしました。笑
さて、このあたりで話をより身近なものにもどしてみましょう。
卐は、ユーラシアでもともと使われていたわけですから、もちろん漢字の文化とも深い関わりがあります。
また、卍という言葉もまた古代より寺院を表す言葉として使われてきました。
卍の由来が卐というのは確かなようです。
ここで、わかっていないのは、卍と万のつながりです。
様々な説はありますが、ここでは一つの説、卍から万に変化したと仮定します。
ここからは自分の推測ですが、
卐と卍は、昔からさほど区別はされていなかった。
その中で、じきに卍は永遠の幸福を表すものとして、萬と同義に扱われるようになる。
萬は当時は無限を意味するものであったが、時代の変化から10000を表すものへと変化します。
その中で、卍は万と形を変え、万は萬と同じ「マン」という読みを与えられた。
卍は万の字であることから「マンの字」転じて「マンジ」と呼ばれるようになる。
つまり、卍というのはもともと、「幸福」ということ意味を持っていたわけです。
現代の意味とは大きく違いますが、もしかしたら、「マジ卍」という言葉は、「マジ幸せ」という意味から、「マジヤバイ」などとの関連で今のような意味になったのかもしれませんね。
とても想像が膨れ上がる面白い内容でした。
さて、いかがでしたでしょうか。
第一回目の雑学は、卍と卐について語ってみました。
是非飲み会で披露されてみてはいかがでしょうか。
また次回で。
とりばあでした。